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この夏、思ったこと

東日本大震災が起きた翌年の夏。
まだ家に帰れない被災者の方が
いっぱいいるのに、おかしい、と
感じるニュースが続いて、
初めて、会社帰り、おそるおそる
国会議事堂前駅の改札の外に出てみた。

アリーナのコンサートとか
スタジアムでの試合の入場前に
並ぶ人たちのように、
ある一角が、大きな列になって
ゆっくり、前に歩いていた。

拍子抜けするほど、普通の人たちだった。

* * * * * *

この夏のデモは、列じゃなくて、人混み。
箱根駅伝の日の大手町とか、
休日の歩行者天国のような。

写真に撮ったとしても、
参加者全員が一度に写りきれっこない。

かといって、その場に行っていない人や
そもそも興味がない人だって大勢いる。
どっちも、嘘じゃない。



警察官たちは、交通整理をしてくれて、
雨の日は「足元が滑りやすくなっているので
お気をつけください」と声をかけてくれた。

女性が歩いて参加して帰れる夜の都心で。
こんな平和で安全な、東京に住めていて。
何で私、デモなんかに来ちゃってるの?
正直、後ろめたいような気持ちも起きた。



デモに臨む人たちの気持ちは
きっと、さまざまで、
怒りでいっぱいの人もいれば、
興味本位や、つきあいで来てみた、
という人もいるだろう。

だけど、自分もそうだけど、
ひとりかふたりで、さくっと来て帰る、
そんな人たちも、本当に多いようだった。

自分が、意思表示をしたことを
自分自身に持ち帰るための参加。

「お参り」に近いのかな。

行かなかったから不幸になるわけじゃない、
行っても、後で災難に遭うこともある。
だけど、平和な暮らしを続けたい、という
意思表示をしに来た、そのこと自体を
自分の拠り所にしたいというか…

デモを何だと思ってるんだ、
お参りを何だと思ってるんだ、と
これ読んで思った人には、ごめんなさい。

だけど、確実に言えることは、
強制されたのではないのに、
楽しいイベントでもないのに、
こうせずにはいられなかった、という人が
これだけいるということだ。

あの人混みを、
ひとつの名前のラベルでまとめようとしたり
実際は何人だったか? と言い争うとかって
なんて無意味で不毛なことだろう。



席替えや模様替えのように
党や派閥を作って組み替えて壊し、
少しでも調子の良さそうなほうへ
移っては戻って、を繰り返し、
居眠りしていたかと思えば
人の話を聞かずにヤジったり。

国民が何に困っているのかの主張よりも
時の総理大臣、党の固有名詞を揶揄する、
品のない言葉遊びばかり饒舌で。

政治の世界って、
自分のいちばん苦手なタイプの人たちの
集まる場所だと思っていた。
無関心というより、避けていた。

だけどこの夏、
お決まりのシュプレヒコールを
カッコいいリズムにのせ、
(好きじゃない言葉も多いけど)
それだけではなく、
若者たちが自分の経験と言葉で考え、
中には、上のエライ人の固有名詞を入れずに
法案や戦争に反対する冷静な言葉が
街やネットに流れた。

そんなデモの勢いに後押しされた
TVや街で聴いた、政治家さん達の演説は
今まで全く聞いたことのない、
熱のこもった、心を打たれるものだった。

人の話を聞かない時代錯誤な人たちが
最近やたら幅を利かせてる気がする。
その反作用なのか、
理解し合うために尽くされる言葉や
それを交わし合える環境も、
少しずつ増え始めてきたのでは、と思う。

いろんな人の話を聞きながら、
迷いながら悩みながら、
少しずつでも、自分の言葉で考えたい。

そんなことしなくていい、
チカラのある誰々さんの
言う通りにしてればいいから、
っていう世の中は、イヤだから。

* * * * * *

この夏に起きたいろいろと、
その気持ちを残しておくために、
全くまとまってないけれど、
書き残しておきました。


0
    推定300枚

    ブログ、ちょっと間があいちゃいました。

    春夏は、楽しいこと、初めてのこと続きで、
    とっても盛り上がった日々だったけど、
    結局しゅーっと、5位…じゃなくて〜^^;
    元通りになっちゃったこともあれば、
    思わぬ変化だけが残ってしまったり。

    同時に、春先からずっと、
    「かゆみ」に悩まされてます。
    頭のてっぺんから、上半身全部。

    かゆいと、頭の中が
    「かゆい」ってことしか考えられないね。
    あぁ、人はなぜ、かゆいのでしょう。

    お〜お〜 か〜ゆい〜
    (巨人の亀井選手の応援の節で)
    と脳内でエンドレスで歌ってみたり、
    「インサイド・ヘッド」のポスター
    眺めながら、
    「いま私の頭には“カユミ”しかいない」
    と、ひとり思ったものです。

    久々の皮膚科通い、
    日焼け止めも化粧水も刺激になるし
    見た目もかなり悲しいかんじなので
    肌を塗らず、出さず、陽の光を避け。
    お酒も飲み過ぎるとかゆくなるので
    控えめに(止めはしなかった^^)。

    それでも少し、9月に入り、
    かゆい気分(?)を
    コントロールできるようになり、
    帰宅後にパソコンの前に座り続ける
    気力も出てきたので、
    久々にまた書いてみようと思います。

    最近、急に、
    熊谷幸子さんの曲を聴きたくなりました。

    「風と雲と私」がヒットしましたが、
    ほかの曲も、好きな曲ばかりです。
    久々、検索してみたら、2012年頃から
    KODAMA through というユニットで
    活動再開しているとのことです!



    熊谷さんのアルバムは、最初の5枚、
    実家に残ってました。おお。

    …私、いま
    全部で何枚CD持ってるんだろう?
    急に気になりました。

    私は、かなり物欲というか、
    コレクション欲がない。

    好きなアーティストのCDも揃ってないし
    (貸してくださるお友達の皆さま
    いつもありがとうございます…)

    ひととおり聴いたら、
    売ってしまうことも多々ある。
    今は、ダウンロードもできるし
    macに入れておいたほうがすぐ聴けるし
    懐かしいあの曲、ちょっと聴きたいな、
    くらいの気分は
    Youtubeであっさり解決すること多いし。

    以前の職場でいただいていたものは
    サンプル盤なので売れないけど、
    元職場に置いてある返却ボックスに
    わざわざ返しに行ったこともあるくらい。
    (今もそういうBOXあるのかな?)

    CDなんて、文庫本同様、
    場所は取るけどサイズが変わらないから
    いちばん保管しやすいんだよね。
    とっといたほうがいいとは
    わかっているんだけど…

    (最近のは限定盤、通常版とかあって
    サイズもバラバラなようですが…
    特に韓国の方々…^^好きだけど)

    でも手元に残ってるということは、
    自分なりに本当に好きだったり
    これを手放しても同じものは
    もうダウンロードでも手に入らないと
    思われるものだったり、
    「捨て曲がない」というか
    アルバム全体のアートディレクションや
    曲の並び順とかが全部好きなもの。

    数えてみた。ざっとだけど250枚。
    自分の家には50枚くらいありそうなので
    推定300枚です。少ない…

    でも、今捨てずにとってあるものたちは
    私のなかで独特の思い入れがあるもの、
    というのは間違いないです。
    そのうちここでちょこちょこと
    紹介していこうと思います。そのうち。

    わー、久しぶりに書いて
    だらだら長いしよくわからない
    話題になってしまいました。
    でも、アップしちゃおう、えい。



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