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東北へ
ゴスペルを一緒に歌っているゆかちゃんは、
東日本大震災以降、被災地を
ボランティアで何度も訪れるうち、
もっと被災地に寄り添って
支援を続けたいと思うようになり、
この春、石巻市に就職していきました。

東京を離れるとき、
ゴスペルのみんなで被災地に歌いに
きてほしい、と言ってくれて、

それが叶う機会が
早くもこの夏、やってきました。

下井草教会の皆さん有志と
ゴスペル東京の有志で、
福島県新地町の仮設住宅へ
おじゃますることになりました。



こんなかんじの住宅が、
林の中の空き地の一角に並んでいます。
ここは、ぜんぶで120軒ほど、
けっこう大きめの住宅団地ふう。
3分の1くらいは、既に空家なのだそう。



子ども会チームと、
夕食準備チームにわかれて、活動開始。

この仮設住宅は、
子どものいる世帯が、比較的多いそう。
逆に、お年寄りばかりの
仮設住宅もあると伺いました。



夜のBBQの準備をするチーム。
焼きそばだけでも、80人分!

食料、燃料、調理器具のほとんどは
教会の皆さんと、ゴスペルのお友達の
何人かが中心になって、
東京から買って準備して持って来ました。
(準備お疲れさまでした…)

野菜やお肉、果物を、
切って、切って、切りまくる。

外の鉄板で食べ物を焼いて配って、
集会室で、仮設に暮らす
おばあちゃまやおじさんとおしゃべり。

そして、集会所で、ゴスペルを歌いました。
日本語の知ってる曲と、多分知らない曲と
半々くらいだったと思うのですが、
皆さん手を叩いたりしながら
一緒に楽しく聴いてくださって
よかったです。

被災地の方々のお話を伺うのは
傾聴ボランティア というのだそうだけど、
よく飲み、よくしゃべる私たちは、
これがボランティアというなら
申し訳ないくらい、食べて、おしゃべりして
地元の美味しいお酒もいっぱい
いただいてしまいました。

この仮設住宅は、ひとつの地域が
まとめて移住してきたのではなく、
宮城や福島のいろいろな地域から
避難してきた方々が集まっている。

おばあちゃんたちも話してくださった。
ここでの生活は仲間もできて楽しいです、
ありがたいです、と。
お礼を言うのは、こちらなのに…。

いつか帰る家がある人、もうない人、
一緒に住む家族や親戚の有無、
それぞれにいろんな事情の差があることが
会話の端々にみえてくる。
お互い、大変なのに、
いたわりあいながら、暮らしている。

3年以上も仮設で暮らしていると、
コミュニティのようなものもできて、
住宅内の町会長さんが毎年選出
されているそうです。
今年は若者です!と紹介されていたその人は、
私たちと同年代だった…。

翌朝、私たちが仮設を発つ前に
ご挨拶をしてくださった代表の方。
「ここで第三の人生を続けている
私たちのことを忘れないでいてくれたら
うれしいです」と。

前の夜の陽気な感じとは違う、
淡々と穏やかな口調が、
聴いてて、つらかった。

つづいて、私たちは石巻へ。



門脇地区の慰霊碑。
目の前に、海まで広がる広大な平原。

福島からの移動もずっと車で、
車窓の外、とくに右側に延々と
平原がひろがっていることに
いつの間にか慣れてしまったけれど
震災が起きるまでは、
ぜんぶ、町があった場所。

ゆかちゃんの説明を聴いたあと、
慰霊碑の前で手を合わせました。

そのあと、石巻日日新聞の
資料展示とコミュニティのための
スペースとして、
2012年から駅前商店街の一角に
オープンしている「NEWSee」へ。

入り口頭上には、3月11日に
波がここまで来ましたよという
印が貼ってあります。
このステッカーは、
町のあちこちにありました。



地震と津波で輪転機が水没、停電。
石巻日日新聞は、そのなかで
震災の翌日から、
手書きで新聞を作り、
市内の6カ所に貼り出しました。

21日まで手書きでつくられた、
その6日分の壁新聞が展示してありました。

市内の多くの地名と「壊滅」という言葉が
赤い文字で並ぶ初日。

そして3日目からは、
「少しでも前向きな情報を伝えよう」と
電気の復旧状況や救援物資情報が中心に。

自分たちも被災しているなか、
少しでも希望を伝えようとする
手書きの文字。

今まで震災関係で目や耳にした
どんなニュースよりも、
人間の底力、言葉の底力のようなものが
その新聞から、
ものすごい力を放っていました。

本物を見れてよかったです。



震災後、急遽、公式サイト運営を
お手伝いさせていただいた
映画『エクレール・お菓子放浪記』の
ロケ地でもある石巻。
やっと、来れました。

帰りは、松島へ。
ここも、『じんじん』ゆかりの町。
実際に来れてよかったです。



道中も、現地でも、
いっぱい笑ったし楽しかったけど、
私達が戻っていく東京は
五輪を控え、湾岸の埋め立て地を中心に
新しい大きなビルや住宅の
建設ラッシュで…。

うーん…
言葉がうまく出てこない。

でも、この気持ちを、
投げ出すことなく、忘れることなく
ずっと持っていたいです。
そして、怒りや諦めじゃなく
何か、次の希望のための
エンジンにしていきたいと思います。

それが、たまたま無事だった自分が
できることだと思うから…。

ゆかちゃん、みなさん、
貴重な機会をありがとうございました。



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