2011年、路線開業100周年を迎えた
香川県のローカル電車「
ことでん」(高松琴平電気鉄道)を
テーマにした、“さぬき発”の映画『
百年の時計』。
お世話になっている香川県の知人から、
この映画のことを、聞いていました。
香川では昨年秋から公開され、先月から全国公開。
で、なんと、公開初日の「ぴあ映画満足度ランキング」で
1位を獲得!というニュースが飛び込んできました。
ミッキー・カーチスさんが演じるのは、
安藤行人(こうじん)という、香川出身の前衛芸術家。
地元に数十年ぶりに帰ってくる行人の新作発表と回顧展を企画した、
学芸員である涼香(木南晴夏さん)が
高松空港に彼を迎えに行く朝から、物語が始まる。
彼女は「ことでん」で地元の美術館に通勤している。
独特な形の自動改札機を通り抜けるところで、
もう、客席で何人かがクスクス笑っている。
きっと、地元出身なんだろうなぁ。
ところがこの行人は、とんだファンキーなじいさん(失礼)で、
目を離すと仮装して高松の商店街を練り歩いたりしている。
しかも、回顧展も新作も、何の準備もして来なかった。
涼香が行人の回顧展を企画したのには、
単なる仕事以上の、大切な思い入れがあったのに…。
失望した涼香は、その深い理由を、初対面に近い行人に、
ばーっとぶちまけてしまう。(展開、はやっ)
芸術とは、人生とは、といった、大きなテーマの会話が、
最初からばんばん交わされていく。
涼香の告白を聞いた行人は「実は人を探している」と言い出し、
地元のTVに生出演してハプニングを起こしたりする。
「ことでん」の車内で、若き日の行人に懐中時計を渡したという
謎の女性との回想シーンから、切なすぎる恋の物語が展開する。
ことでんの車両の手前半分が過去で奥半分が現在だったり、
栗林公園のシーンでは、
左半分と右半分に過去の安藤と現在の行人が並んでいたりする。
“過去と現在の交錯”シーンは、演劇のように進んでいく。
こんな、ちょっと強引で不思議な展開が
鼻白むかんじにならないのは、
たぶん映画全体を包む、ほどよく「演劇的」な雰囲気と、
中村由利子さんの、過去と現在の時間を、ゆらゆらと
やさしくつなぐようなピアノ音楽、
あとは、ミッキー・カーチスさんの、半分異星人のような(?)
キャラクターによるところが大きいんだと思う。
だから、ミッキーカーチスさんの好き嫌いは
この映画との相性に影響するかもしれない。
私は大好きです^^
特に、井上順さんとの、あのシーンは最高でした♪
映画で町おこし、ロケ地提供というのは、ここ数年、
ゆるキャラ、ご当地B級グルメ、なんかとともに、
流行というより、地方産業のひとつになりつつある。
だけど、単なる人集め・賑やかしと、
その町ならではの、具体的なメッセージを発し続けたいのとでは、
できあがる現実は、ぜんぜん違ってくるはず。
ただのイベントと、
インスタレーションの違い、ということか。
イサム・ノグチ庭園美術館や
直島のアートプロジェクト、
そして3年に1度の
瀬戸内国際芸術祭などで
長くアートと町おこしを密着させてきた香川県は、
発信することに対する素地が、
そもそも、他の地域とは違うのかもしれない。
(「
うどん県、それだけじゃない」とはよく言ったもので、
このキャッチフレーズを、ちょっと茶化すシーンの
豪華?キャストには驚きました^^)
物語のクライマックスに登場する究極のインスタレーションは、
映画のシーンでもあるし、
金子修介監督とスタッフ、そして地元の皆さんが作りあげた
インスタレーションを収めたドキュメンタリー、のようでもある。
アートとは。日本の100年の歴史とは。そして未来へのメッセージ。
壮大なテーマを、照れくさいほどまっすぐ、観客に伝えてくる、
その美しさといったら!
でも、そんな壮大なテーマや感動を、
ぎゅっと手のひらに包みこめるような、
小さく素朴な温もりのある映画でもあります。
上映館が少しずつ増えることになったそうで、うれしいです♪
さて、最初に書いた、香川県の知人というのは、
私は『レオニー』の高松ロケをきっかけに知り合いました。
この方の、自己紹介&地元紹介のあいさつは、決まって、
「香川は、47都道府県でいちばん面積が小さい田舎で…」
それを口にしているとき、彼女は、実は、いつも誇らしそうでした。
彼女がこの『百年の時計』の
サポータークラブの代表として
お名前がエンドロールに流れていたのでした。
彼女が日々発して来た「さぬき愛」、
映画の端々に、ちりばめられていたと思います。
金子修介監督、撮影の釘宮慎治さん、
脚本の港岳彦さんが舞台挨拶をされた日に
行ってきました。パンフにサインしていただいた♪